大相撲テレビ桟敷

楽しみにしていた初場所が始まりました。 私なりの注目力士を挙げて、私なりに感想を述べさて頂きます。 私が挙げる注目力士は、将来の横綱候補といわれる朝の山、勝負強く、根性の貴景勝、 人一倍小兵の炎鵬、人気落ちない遠藤、大関復活なるかの高安、五力…

昭和の(大関)を張れなかった名力士

先ず時津山を挙げたいと思います。 昭和30年私が中学生になる頃、 私の記憶によると、大相撲は目指す三力士が 大関争いをしていました。 時津山、若の花、松登の3力士でした。 私は羽黒山のファンでしたので、立浪部屋の時津山を応援していました。 時津山…

(1)心に残る名力士羽黒山

私が相撲に興味を持ったのは昭和28年頃、 小学校三年頃だったと思います。 相撲好きの父の影響が大きかったと思います。 双葉山の後、羽黒山という名横綱が、双葉の後に羽黒ありといわれ、頑張っていました。 私の心に残る名力士として羽黒山を紹介させて…

親孝行か?親不孝か?親孝行論

親孝行とは何かと考える機会がありました。 息子が私に対しての親孝行、 私が父に対しての親孝行 二人が体験していく過程から、多くの人の考え方を、お聞きして、自分なりに、 納得させて頂きたいと思います。 時代の違い、解釈の違い、 私は昭和18年生まれ…

セブンの構造改革策チャージ引き下げ

10月10日、セブンイレブンがグループの構造改革策を発表しました。 コンビニオーナーに対する、対応の悪さが目立っていましたが、加盟店料(チャージ)の引き下げを発表しました。 各社が消極的のなか、英断だと思います。 フランチャイズオーナーが、最も望ん…

ガイアの夜明けコンビニ改革

テレビ東京9月24日ガイアの夜明けを見ました。 コンビニ大変革時代と、このところ、評判の悪かったコンビニ、どんな放映になるか、興味深く見ました。 セブン、ファミマ、ローソンのオーナーが、 番組に参加していました。 今回の番組では各社社長は24時間…

低ナトリュム血症での入院

私は国立で数年前から、三ヶ月事に血圧、高脂血、コレステロール等の検査の血液検査を受け治療していました。 ここ数年の間、塩分、糖分は極力減らしていました。お陰で、血圧、高脂血が正常となり、 安心していました。 半年くらい前に、担当医が、ナトリウ…

佐渡のお思い出 その二

私にとって、佐渡というと、すぐ、いごねりが思い出されます。 幼なじみ、小学校も、中学校も目黒区の近所の人ばかりなので、佐渡には私個人の友人はいません。 佐渡には戦時中、母が出産の為、実家に戻って準備するのと、東京は危ないと佐渡で過ごすことに…

コンビニ本部時代に即した改革を

6月24日の朝日新聞社説は、久々の見事な記事でした。 本部が優越的地位を背景に自らに有利契約を結び、加盟店に負担を強いるようなやり方は、持続可能ではない。 動きの悪い本部は謙虚に受け止め、スピーディな行動をとって頂きたいと思います。 元々、フ…

佐渡名産、いごねりの思い出

私の両親は佐渡生まれで、私が小学校の頃、 昭和25年頃、父が佐渡の名産の一つ、いごねりを佐渡から、小包みで取り寄せてくれました。 両親が幼い頃から食べた名産を私達姉弟に、食べさせたいと思ったからだと思います。姉も私も、臆すところなく、美味しく…

就活は結果次第 その三

前回の記事の通り、会社に行くのが楽しいと思う、時期が続いていました。 会社の内容も、大きく成長してきて、各県に営業所を開設の計画を立て、生産設備の拡充の為、新工場の建設の計画が進んでいました。 本当に良い会社に入社することが出来て、 良かった…

就活は結果次第です。その二

名古屋支店に勤務して約5年経過した頃には、建築ブームに乗って、会社は急成長して、若手社員が毎年多く、入社、独身寮の8部屋の個室が2人部屋となりました。 私は古参の人1人として、個室としてもらいました。 私の発案で、誕生日祝い会を実施したり、 …

就活は結果次第です。その一

年を取ったせいか、31年間お世話になった会社のOB会に参加するたびに、自分の就活の選択がどうだったのか、思い出しながら、楽しんでいます。 私が入社したのは昭和40年です。 その頃の就活は、大学4年になってから始まりました。 私は金融関係の損害保険を…

4/8日TBSビビット皇太子殿下の妃選び舞台裏

4月8日午前8時頃、偶然TBSビビットのTV放映が目に入りました。 平成の皇太子殿下の妃選びの報道機関のスクープ合戦の舞台裏を放映していました。 その当時、私50歳前後で、皇太子殿下の妃選びの報道は過熱状態だったようでしたが、 仕事に追われる毎日で…

高齢からの転職その二 苦難のスタート

五泊六日の研修、直営店での一週間の直接トレーニング、を終えて、8月27日、開店の日を迎えました。 朝7時開店、新店の開店前、沢山のお客様が、待ちどうしそうにお待になっていました。 上々のスタートを切ることが出来ました。 客数、売上ともに期待通りの…

高齢からの転職その一 めぐり合わせ

私が53歳で.31年務めた会社を退職し、コンビニ経営を選んだのは平成8年8月の事でした。 大好きだった会社でしたが、自分なりの意地をとうしての退職でした。 その当時、コンビニ経営は厳しい仕事だが、儲かる業種と言われていました。 私には、どうしても…

セブンオーナーの24時間営業に関する問題提起

先日、セブンイレブンのオーナーの方が、奥様がお亡くなり、人手不足から、止むを得ず、深夜営業の短縮を強行されました。 再三本部に申し入れたうえでの事だそうです。 結果、本部から契約違反で多額な違約金を要求されているとの記事がNHKほか、各局がテレ…

ペットとの思い出、犬との出会い

私は幼い頃の忘れられない恐怖から、大人になっても、犬嫌いは通していました。 そんな私の信念を変えさせたのが、近所の嫌われ者の凶暴な犬ハナだった言う意外だったストーリーをお話しさせていただきます。 前回の記事の重複になりますが、凶暴な犬、 ハナ…

ペットとの思い出その三の2

我が家の大きな出来事というのは、私の転勤の話でした。名古屋支店に28年在籍、水があったのか、楽しく居心地の良い環境からの別れは残念でした。 22年間生まれ育った祐天寺の実家が近い、 幼馴染や学生時代の友人との距離が近くなる、やってみたいと思…

ペットとの思い出その三の1

私の家の庭には、相変わらず数匹のネコの姿が見かけられました。 すのうちの生後二ヶ月ぐらいの幼いネコが目につきました。 そのネコは幼い時一緒に生活していたミーとそっくりでした。 ミケネコで美形で可愛いらしく、人懐こいネコでした。 唯、唯一の欠点…

ペットとの思い出その二

ミーの死の原因が犬に襲われたと言う、余りにも悲劇的な事件でした。 別れの辛さが大きかった為、しばらくの間ペットを飼う気持ちにはなれませんでした。 その後私は大学を卒業して、建材関係のメーカーに就職しました。 東京育ちの私でしたが、名古屋支店に…

ペットとの思い出その1

今年、1月に後期高齢者に仲間入りとなりました。年相応に色々の経験を積んできました。 その割に、ペットを飼った事は二度しかありません。それもネコだけです。 ネコ好きを自負している私にとっては不本意な事です。 ただ、二回のネコとの生活は、どちらも…

今後のコンビニ経営の危うさ

平成の時代もまもなくお別れとなります。小売業の中で、華々しい活躍を続けてきたコンビニ、失礼な言い方になりますが、平成の始まりから、何ら企業としての努力無しでも、伸び続けた業種ではないかと思います。圧倒的に強いAチェンは、別のようです。新しい…

母の人生

母は明治四〇年三月十一日に佐渡で生まれて、平成二十年三月十一日に101歳の誕生日に亡くなりました。明治、大正、昭和と、三代を経験した、希少価値のある人生でした。28歳の時、一回り違いの父の元に嫁ぎました。母の実家はある程度裕福な特定郵便局…

父の人生、母の人生、私の人生

父は明治28年に生まれました。そして昭和43年、72歳で、生涯の幕を閉じました。父の人生は波瀾万丈の人生だったと思います。幼い頃、父を亡くし、母と兄との3人家族だったそうです。母の兄、父の叔父は一流商社の代表で、経済的な支援はしてくれたよう…

両親と私 母との距離 管理職の私

昭和46年3月に岐阜営業所が開設され、1年が経過しました。岐阜市、大垣市、飛騨の高山方面、東濃は多治見市から中津川市まで、愛知県も一宮市、犬山市と広い範囲を広く担当することになりました。仕事を受注することが、楽しくてたまらない、企業戦士に…

両親と私 新入社員時代、父の死

大学を三月無事卒業しました。三月早々、内定した会社から、新入社員研修の案内が、送られて来ました。四月一日本社で入社式終了後、横浜の鶴見工場で、研修資料の案内でした。いよいよ社会人としてのスタートだと、緊張と、不安、好奇心、ファイト、色々と…

両親と私 大学時代、その後

大学1年は編入試験を受けることが目標だったので、バイトを少しやりながら、図書館通いで自習、受験時代と同じように過ごしていました。法学部編入合格により、漸く受験競争から開放されました。父親は、大学生になった私を、一人前の大人として認めてくれ…

両親と私 、 中学、高校時代

中学三年になると、受験戦争という競争世界を体験する厳しい第一歩が始まりました。私の通っていた中学は、当時補習授業として、成績順にクラス分けをして、受験競争に備えていました。都立高校に入るのが一番の目標でした。私立の高校は滑り止めの受け皿で…

両親と私 幼年、中学生時代

コンビニ経営を6回投稿しましたが、この辺で、私が幼い頃からからの、両親と私の関係、そして私自身の生い立ちを書かして頂こうと思います。私は昭和18年1月11日、父48歳、母36歳の長男として、誕生しました。3年前に、姉が生まれていたので、4人家…