昭和の(大関)を張れなかった名力士
先ず時津山を挙げたいと思います。
昭和30年私が中学生になる頃、
私の記憶によると、大相撲は目指す三力士が
大関争いをしていました。
時津山、若の花、松登の3力士でした。
私は羽黒山のファンでしたので、立浪部屋の時津山を応援していました。
時津山の相撲取口は綺麗な正攻法で、見ていて、気持ちの良い取口でした。
将来名横綱、土俵の鬼と言われた小兵の若の花、ぶちかましの松登との熾烈な大関争いは話題になっていました。
昭和28年前頭6枚目で平幕全勝優勝した時津山は好不調の波が激しかって、安定感がなかったようです。
大関争いには、好成績が三場所続く事が必要でした。時津山は不運な力士で、実力がありながら、安定した力を出し切れず、大関取りを逃してしまいました。
結局、大関昇進争いは、結局、若の花と松登が大関同時昇進という形で終了しました。