4/8日TBSビビット皇太子殿下の妃選び舞台裏

4月8日午前8時頃、偶然TBSビビットのTV放映が目に入りました。

平成の皇太子殿下の妃選びの報道機関のスクープ合戦の舞台裏を放映していました。

その当時、私50歳前後で、皇太子殿下の妃選びの報道は過熱状態だったようでしたが、

仕事に追われる毎日で、関心が薄かったようで、新聞やニュースを見て知る程度でした。

10数年前から、各地で大きな災害が起こりました。

災害が起こるたび、天皇陛下皇后陛下が被災地訪問され、被災者に寄り添われ、

励まされる、お姿を目にしました。御高齢になられてからも、被災者を励まされる姿に日本国民は感銘を受けた事と思います。

そんな事から、天皇陛下には尊敬の念と、関心を持つようになりました。

その日、偶々のTV報道に見入った次第です。

その時のビビットは、皇太子殿下のお妃選びが始まり、宮内庁が動き出し、候補者選定に動き出した時の様子を伝えてていました。

平成の始まる前後だったようでした。

外務省の大物が外務省の元官僚が、同じ元官僚のお嬢様を、お妃候補者として、宮内庁の誰かに紹介したそうです

その方は外交官試験に合格し、外務省に入られた小和田雅子様でした。

雅子様のお父上は、外務省次官、外務省内角官房長官国際司法裁判所裁判長を歴任されてたエリート官僚、小和田恆様です。

雅子様を皇太子妃候補の一人との特ダネ情報を嗅ぎつけた、女性週刊誌が、報道に踏み切り、日本中がお騒ぎとなったようです。

小和田家、雅子様はマスコミから追われて大変な迷惑を被った事と思います。

雅子様アメリカの学位をお持ちで、お父様のような外交官を目指していました。

マスコミのインタビューには外務省職員として続けていくと、答えていたようです。

マスコミ報道は、益々過熱状態となり、宮内庁、政府がは、報道各社の取材に対して、報道の自粛を申し入れました。

報道各社も、応じたようです。

それからして、約5年後、平成4年皇太子殿下と雅子様は5年振りに再会したそうです。

お二人の交際が始まり、お二人の交際が極秘に進むよう、宮内庁中心にマスコミ対策を、考えたようです。

秋篠宮一家の団欒を見せて、記者の取材活動を向けさせたり、したそうです。

特に、天皇、皇后両陛下の中国訪問、歴史的な出来事がありました。

平成4年10月の事でした。

マスコミは取材活動に追われる状態が続きました。

この間、皇太子殿下の妃選びは、水面下で進みました。

平成4年10月3日皇太子様は雅子様にプロポーズ、ご交際は極秘に続きました。。

平成5年1月6日、午後4時過ぎ、突然、皇太子妃内定のスクープ記事が流れました。

流したのは意外にも、ワシントンポスト紙(アメリカの新聞社)でした。 

記事を書いたのはトム リ-ドさんは東京支局長でした。

彼が報道に意欲的になったのは大きな理由があったそうです。,

それは、雅子様アメリカの高校、大学を卒業、アメリカの学位をお持ちの方で、

その方が、将来の天皇陛下のお妃に内定する事は、素晴らしい事だと思ったそうです。

日本の報道機関は報道規制で、報道出来ないが、アメリカの新聞社は、報道規制

に参加してないと解釈、最高のスクーぷとして、報道に踏み切ったそうです。

報道規制が、とかれ各社の取材合戦が再発とならました。

雅子様は前年10月に皇太子殿下のプロポーズされ、交際されて、外交官への道を断念

され、平成5年1月19日御婚約の記者会見が行われ。皇太子様の「雅子さんのことは、

僕が一生全力で、お守りしますから」は当時はやりことばになりました。

スクールプ合戦は終了、めでたく、6月9日御成婚を迎えることとなりました。

雅子様は、今後、零和皇后陛下となられて、平成天皇陛下御夫妻と同じ、国事をなさる

と思います。

外交官への道を進めなかったが、今後、天皇陛下と共に、世界の平和に日本が貢献出来るよう、期待したいと思います。

私が見たのは偶然だったので、途中、不確かなところはお許しください。