就活は結果次第 その三

前回の記事の通り、会社に行くのが楽しいと思う、時期が続いていました。

会社の内容も、大きく成長してきて、各県に営業所を開設の計画を立て、生産設備の拡充の為、新工場の建設の計画が進んでいました。 

本当に良い会社に入社することが出来て、

良かったと思う毎日でした。

就活は結果次第だと、改めて思いました。

入社してからどう過ごすのかが、1番大切なことだと、改めて学ばせて頂きました。

入社してから名古屋6年、岐阜16年、再度名古屋6年.名古屋支店在籍28年、同一支店、長期在籍の珍しい形でした。

その後、北関東、東京に3年在籍、名古屋で学んだことを、残念ながら、生まれ育った東京で発揮することが出来ませんでした。

53歳で退社、28年間のサラリーマン人生を終わらせることになりました。

その後、第二の人生として、コンビニ経営を選択しました。

最近、厳しい話題になっている、コンビニ経営は、20年前から、24時間営業で、年中無休の

厳しい、業種でした。

当時は店舗数も、今ほど多くなく、需給のバランスが取れていました。

唯、立地の良い店舗、悪い店舗の差は、歴然としていました。

私は、幸運にも、立地の良い店舗に恵まれました。

私は建設関連の建材メーカー育ち、小売業とは畑違い、最初の1年は、精神的、経済的に、苦しい毎日でした。

こんな厳しい仕事、10年も続けられるわけがないと思う毎日でした。

そんな日が続くある日、31年務めた会社の新入社員時代の厳しかった頃を思い出しました。

努力と工夫をすれば、何とかなると、必死になって頑張りました。

不思議と、一つ一つ改善がうまく行くようになり、店利益が大幅に上昇、

二年目が終わる頃には、高日販店と表彰される、優良店舗に成長しました。

結局、31年務めた会社は、私を教育してくれ、

育ててくれ、成長させてくれ、第ニの人生でも力を貸してくれたようです。

第ニの人生も、20年の契約を無事、満了まで務め、円満な形で、クロージングをすることができました。

運が良かったと言えば、それまでですが、

就活で希望通りいかなくても、こんな形で、

幸せな人生を歩むことができたと思います。

希望通りの就活頑張っが出来なくても、

古い考えと言われるかもしれませんが、

入社した会社を信頼して、

一所懸命、頑張れば道は開けるのではないかと思います。

振り返ってみると、名古屋の水、岐阜な水が、

私に合った事も、幸運だったのかもしれないです。

就活について、昭和40年の私の経験を書かして頂きました。

時代遅れかもしれませんが、時代が変わっても、共通する何かがあれば、幸いです。

ありがとうございました。