(1)心に残る名力士羽黒山

私が相撲に興味を持ったのは昭和28年頃、

小学校三年頃だったと思います。

相撲好きの父の影響が大きかったと思います。

双葉山の後、羽黒山という名横綱が、双葉の後に羽黒ありといわれ、頑張っていました。

私の心に残る名力士として羽黒山を紹介させて頂きます。

私の両親は新潟県佐渡の出身で、羽黒山新潟県出身だったので、応援していました。

又、風呂屋の三助(客の背中を流す)をしていたと言う事で苦労していたと言う事も、

応援の原因になったと思います。

双葉山があまりにも強かったので、羽黒山の強さは、それ程目立たなかったと思います。

部屋は同門立花部屋で対戦はありませでした。双葉山は全盛時を過ぎていました。

それでも一勝差で二度優勝、羽黒山も二度優勝しており、両者の力は均衡してきました。

その後、羽黒山時代となり、4連覇、32連勝を成し遂げ、双葉の後に羽黒ありといわれるようになりました。

私が小学校五年生頃、相撲はラジオ放送の時代でした。私達親子は羽黒山の晩年を夢中でラジオを聴いて、羽黒山を応援していました。

当時千代の山が人気力士として注目されていました。

その場所は羽黒山との優勝争いになっていました。

羽黒山は全勝、千代の山は一敗で追う千秋楽の大一番、羽黒山は30歳を越えており、千代の山は伸び盛りの若手、世間は世代交代を期待しているような雰囲気もあり、ラジオ放送のアナアンサーも、千代の山の肩を持つように感じられ不満に思ったように思います。

父と私は羽黒山の全勝優勝を願っていました。

結果は大相撲となりましたが、私達の願い通り羽黒山の全勝優勝となりました。

この優勝が羽黒山の現役最後だったと思います。

その後引退して、立花部屋を継ぎました。

羽黒山は記録から見ても、素晴らしい大横綱ですが、双葉山の存在があまりにも大きかった事と、同時代だった事が、気の毒だったと思います。

次回、私の心に残る名力士を(2)紹介させて頂きます。