親孝行か?親不孝か?親孝行論

親孝行とは何かと考える機会がありました。

 

息子が私に対しての親孝行、

私が父に対しての親孝行

二人が体験していく過程から、多くの人の考え方を、お聞きして、自分なりに、

納得させて頂きたいと思います。

 

時代の違い、解釈の違い、

私は昭和18年生まれ、息子は52年生まれです。

私は父48歳、母36歳に誕生し、老夫婦の元でで、過保護に育てられました。

 家族は両親と姉の4人家族でした。

私と息子の時代は違いがあり、二人が体験する全く違った、人生の中で、親孝行とは、どんなものなのか、比較してみたいと思います。

 

現在の私は、家内と息子の3人家族です。

私は、今年1月に後期高齢者となりました。

健康自慢の私でしたが、体調を崩し、一ヶ月入院しました。退院後のリハビリ等で、息子に世話をかけています。

親孝行をしてもらっています。

 

息子に取っての家庭環境

私は53歳の時、31年勤めた会社を退職、家内とコンビニ経営をはじめました。

最初は苦労しましたが、運がよかったのか、

1年後には軌道に乗せる事が出来ました。

息子は大学を卒業する頃、就職氷河期と言われた時代でした。

店は高日販店として、表彰される店舗に成長していました。

人手不足になる事もあり、息子に手伝ってもらったりしていました。

息子が大学を卒業する頃は、所謂、就職氷河期時代でした。

コンビニの時代は、長く続くと思え、店の運営に参加することになりました。

毎月100万円以上の店利益があり、私は31年勤めた厚生年金、会社の企業年金を受け取るようになり、息子が店を切り回すようになりました。

その後、競合店も増え、10年後には人手不足が当たり前、時給は急上昇、長時間労働等、労務管理などの、諸問題の解決は個人商店には、手に負えなく、本部は加盟店との、共存共栄の関係は終わったように見えました。

息子にとっては10数年は解放感の持てない、

厳しい環境は、20年以上働いたような状態だったと思います。

そんなことで、20年目の契約満了で、コンビニ経営を終了する事にしました。

息子はその後、ネットの世界で自由に生計を立ててみたいと、頑張っています。

家内も足腰を悪くして、杖をつき、息子の世話になっています。

私も低ナトリュムから下垂体機能に問題があるようで、ウオーキングによるリハビリに、息子は健康管理も兼ねて、付き合ってくれてます。

息子もは持ち運びに便利なパソコンを持ち歩いて、仕事と介護を両立させる覚悟のようです。

息子にとっての家庭環境は、コンビニ経営の家族経営を強いられ、参加したような気がします。

 

私に取っての家庭環境

父は東京都庁目黒区役所勤務の、殆ど定時に帰宅する真面目役人でした。

父は私が大学三年の時、脳梗塞で半身不随に近い状態でしたが、それでも、私の就職を心配して、力になってくれました。

公務員だったので、家計も恩給で人並みの生活が出来ていました。

私は卒業後、東証一部上場の建材メーカーに就職できました。

赴任先が名古屋となりました。

新入社員の私は毎月、新幹線で一度の上京しましたが、旅費を父が出してくれました。

今思うと、可愛がってもらった父に、具体的な親孝行としての行動はしてなかったような気がします。

母58歳、父70歳、病身の父を抱えた老夫婦を残して、名古屋に赴任した私は、

今思うと、親不孝だったのか?

 

親孝行の考え方、その頃の時代背景、

 

親を大切にすること、

親の面倒を見ること

良い大学、良い会社に入り、出世する事

現在でも、親の気持は変わらないと思います。

 

私の場合

私は高校に入学後、テスト結果の成績優秀者に乗るのようになりあ両親は喜んでくれました。

大学受験は、何校か受験しましたが、中央大学商学部だけ合格、入学することになりました。友人の多くは浪人、私もひそかに、中央大学法学部法律学科転入を狙って同じように勉強しました。

運良く、法律学科2年に転入出来ました。

両親が、殊の外喜んでくれました。

私が成功することが、親孝行なんだと思うようになりました。

就職も内定し、名古屋勤務、となった時も、自分達の不安より、私の初めての自活を心配、両親はいつも、私の事を考えてくれていました。私は自分の事しか考えていなかったようです。

私は就職先の名古屋で、半年は苦労しました。その後は、慣れ、ベテラン社員と同等の実績を挙げ、若手の中で目立つ存在になりました。

両親には、葉書で私の活躍振りを時々送りました。

母の話では、父は何度も読み返し、私の活躍振りを、喜んでいたようでした。

私が入社3年目の時、父は亡くなりました。

その後、順調に進みましたが、平成8年、53歳の時.31年間勤めた会社を退職、第二の人生として、コンビニ経営にチャレンジ、1年後には軌道に乗せ、母95歳の時、東京から引き取り、6年間老人ホームに入居、家族経営だったので、私、家内、息子、交代で、毎日面会、

月に一度の外食を兼ねての我が家で一泊は母を喜ばしたと思います。

父には親孝行らしい事は出来てなかったと思います。

そんな私の事を、私の活躍振りの報告を喜び、何度も読み返してくれた、父の大きさは、偉大で、私は足元にも及ばない、と、改めて思い知らさせました。

 

親孝行と思っていましたが、我が人生は、自分勝手、自己満足だけ、だったのではないかと思います。

母には亡くなるまでの6年間は、親孝行の真似事が出来たと思いますが、

父に対しては、心に残るような恩返ししていないと思います。

人一倍可愛がってくれた父に、なんら恩返し出来なかった自分に腹を立てています。

 

息子には、私と家内の介護をしながらの人生を歩ませてしまっています。

 

私は息子が良い高校、大学に入って、良い会社に就職して、結婚して良い家庭を持って欲しいと思っていました。

 

身体が弱り、息子の力を借りることが多くなると、頼りにするのが、当たり前なってしまいます。

息子か私達の面倒を見ながら、生計を立てることが出来るなら、立派な親孝行として、

理想的な成功事例になると、勝手な願望を抱いています。

自己中の親孝行論、ごめんなさい。