就活は結果次第です。その二

名古屋支店に勤務して約5年経過した頃には、建築ブームに乗って、会社は急成長して、若手社員が毎年多く、入社、独身寮の8部屋の個室が2人部屋となりました。

私は古参の人1人として、個室としてもらいました。

私の発案で、誕生日祝い会を実施したり、

慰安旅行の宴会では、寸劇を実施等、独身寮の存在感をアピールしたいと、思い切って進めました。

その他、名古屋での、現地での採用された、

同年輩社員も含めて、親睦を深めようと、努力しました。

仕事も順調、社員同士の付き合いも、順調、

ストレスは、全く無い、私に取って、サラリーマン生活、順調満杯の良い時代でした。

金融関連の会社に入社した友人達は、給与、賞与は私より、30%は多く手にしているようでしたが、歯車の一員であリ、私のように自由に動けない、ストレスは溜まるとばかりでと、こぼしていました。

私はストレスを感じない、楽しく働ける、

良い会社に入社したと、心から思いました。 

入社7年目には、最初の管理職となる、主任の辞令を頂きました。

ここまでは、希望していた損保への入社が、

叶わなかった事が、逆に幸いな結果になった事、又、自分が苦手と思っていた営業職に、配置され、どうなるかと思っていましたが、結果として、名古屋支店では異例の速さで管理職の座にいる、全てが、自分が信じられないぐらいでした。

この辺でその二を終了、次回その三を書かせて頂きます。