佐渡のお思い出 その二

私にとって、佐渡というと、すぐ、いごねりが思い出されます。

幼なじみ、小学校も、中学校も目黒区の近所の人ばかりなので、佐渡には私個人の友人はいません。

佐渡には戦時中、母が出産の為、実家に戻って準備するのと、東京は危ないと佐渡で過ごすことにした生まれてから2年ぐらいの短期の滞在でした。

佐渡好きの理由は見つかりません。

両親が佐渡出身なのは、一つのは理由ですが、

父の甥、姪が5人、母の甥と姪他、親戚が沢山東京に来ていました。

盆と正月は大勢の親戚が集まりました。

酒好きな父は酒と寿司を、振る舞い、我が家の年中行事となっていました。

給料の低い、都庁勤め父は、満足そうにしていましたが、母はやり繰りが大変だったと思います。

姉と私は、めったに食べられない御馳走にありつけるのが楽しみになっていたような記憶に残っています。

集まる皆様は東大、一ッ橋大、東北大等の一流大学が多く、受験には不便な環境の中、あのど田舎の学校から、一流大学に合格するのは至難の業で立派だと思います。

佐渡人の誇りにして良いと思います。

この佐渡人の集まりは、幼い頃からずっと続いていました。皆んなの話は佐渡自慢の話が多く、幼い私には、可成りの影響があった事と思います。

佐渡好きの大きな原因のつになったと思います。

私の本籍地は中学生の頃、新潟県佐渡郡相川町でした。高校受験のとき、戸籍謄本が必要な際、郵便での取り寄せに時間がかかるので東京目黒区に移しました。

益々佐渡との関係は、薄くなっていきました。

本籍、現住所ともに東京都目黒区となりまた。

佐渡との繋がりはいごねりだけになってしまいました。

大学時代、社会人になってから、佐渡出身とか、新潟県出身の人に出会うと、なんとなく

親しみを感じるようになっていました。

佐渡出身者とはなかなか会う機会がなかったが、入社した会社で佐渡出身者と出会う機会があり、不思議た親しみが湧いてきます。

佐渡大好きな両親のDNAが私にも写ったようですが、これからも、私は満足して、佐渡の思い出を大切にしていきたいと思います。