生前整理のススメ思い出(1)

生前整理を進めるうち、懐かしい思い出が沢山出てきます。就職して、入社した会社は、社会人としての私が、大きく成長した第一歩でした。三一年働いたサラリーマン人生、岐阜営業所を含めて28年間名古屋支店に在籍、五〇歳で初転勤、東京支店に、北関東営業所を含めて3年間在籍、そして、コンビニ経営に転職、ローソンのオーナーを21年間勤めました。どちらも厳しい世界でしたが、厳しかったのはどちらも半年くらいで、あとは思い通りに近い形で進めることができました。

私が、昭和40年入社した会社は建設関連の建材メーカーで、東証1部に上場の会社でした。この会社が私にピッタリ合うとは、夢にも思いませんでした。

私の時代の就職活動は大学四年の新学期からでした。夏休み前に内定を受けるのが目標でした。残念ながら、目標の二社が不合格となり、夏休みに入り、焦っている私に、父から、父の友人から40人募集している会社で東証1部上場の会社を紹介してくださる話がありました。

私は飛びつきました。運良く夏休み中にこの会社の内定を受けることができました。

会社の内容はどうかというより、早く内定をもらいたい一心でした。

昭和40年4月入社式の後、新人社員研修を20日間受け、研修最終日に赴任先の辞令を受けました。

名古屋支店勤労を命ずるとの辞令を受けとりました。5月1日付の辞令でした。

東京で生まれ育った私、悪くても関東勤務と思っていた私、70歳の父は、嫌だったら辞めて帰ってきていいからと言ってくれました。母親も同じ考えでした。私は、父48歳の年寄りっ子、甘い両親でした。私は父の友人が、紹介して頂いたお陰で、入社した会社、恥をかかしたくない思いを強く持って、頑張ろうと思っていました。

5月1日の辞令、赴任の打ち合わせに名古屋支店に電話しました。新幹線で名古屋で下車、タクシーで、来て下さいとの事でした。開通したばかりの新幹線、タクシー、待遇面の良い会社だと思いました。好きになれそうな予感がしました。

昭和40年4月30日午前10時頃、乗車、初めての新幹線乗り心地最高でした。

午後名古屋支店到着、応接間、支店長、総務課長から、心構え、規則等の説明をし受け、私の教育係としての課長を紹介されました。

課長は50歳前後の気難しそうな人でした。

課長から、運転免許の取得、そろばん、建築図面の理解度、問われました。生憎私は免許は無く、算盤はダメ、図面の知識無く、課長から本社は役立たずをよこしたと、言われました。面と向かって言われました。内心、腹が立ちましたが、言われることも、もっともだと思いました。

運転免許は取得すべきだったし、建設関連の会社に入社した以上、建築図面の勉強をしておくべきだったと、自己反省することにしました。

勤務中に教習所行かさせてもらい、算盤、鉄骨図面の屋根、外壁から自社商品の見積もりの仕方等を、猛勉強しました。

課長から1ヶ月ぐらい毎日怒られていましたが、なんとか担当先をもらい、営業マンとしてスタートすることになりました。

名古屋支店の陣容は本社採用の1年先輩が2人2年先輩が1人、現地採用の同年配が6人、30歳以上が10人以上、20歳代が、私を含めて8人、女性5人、全社員30人ぐらいの組織でした。独身者は二人組みで3箇所のアパートに

住み、私は8畳二間の住宅に、転勤で来た、20歳の社員と、1人ずつ生活することになりました。翌年本社採用の新入社員が二人赴任してきました。二人の新入社員は一浪していたので、私と同級生でした。二人は私を先輩として、敬ってくれました。

私の課は1部、2人は2部、保温工事部と違う部署に所属の組合せでした。

この同年輩の後輩二人の協力により、私が

求めている、楽しく働ける職場作りに動き出すのです。

その後、私達5人とアパート住まいの七人で、新しい寮に移ることになりました。

新生活の様子は次回にいたします。