両親と私 大学時代、その後

大学1年は編入試験を受けることが目標だったので、バイトを少しやりながら、図書館通いで自習、受験時代と同じように過ごしていました。法学部編入合格により、漸く受験競争から開放されました。父親は、大学生になった私を、一人前の大人として認めてくれるようになりました。幼馴染みの友達、受験を目指した友達、高校の友達、大学に入ってからの友達、よく遊びました。特に高校の友達で受験を目指したTとは、学校は違いましたが、同じバイトをしたり、旅行で私の両親が育った佐渡を周遊したり、名古屋や南紀他旅行したり、軽登山をしたりで、生涯の友となりました。Tは一浪して、私立では一流大学の政経学部に入学した、頑張り屋でした。私より、世間慣れしていて、私を大人の世界へ引っ張ってくれました。新宿のダンス教室に通ったり、スタンドバーに行ったり、麻雀、パチンコ等、大人の遊びも経験させて貰いました。その他の友達とも、旅行、軽登山等、健全な遊びまで、沢山の経験をさせて貰いました。裕福でない家庭でしたが、小遣いは、友達と同じぐらい貰いました。当時の両親の老後の生活を考えると、申し訳ない事をしてしまいました。バイトもよくやりました。大学二年生の時、高校の恩師から、母校の中学校の生徒で、家庭教師をを希望している生徒がいるので、やってみないかと、打診されました。最もやってみたいバイトだったので、喜んで、受けました。裕福な家庭の息子で、英語と数学を教えました。私は出来る限り熱心にやらさせて貰いました。ご両親から、結構信頼され、卒業まで3年間やらせてもらいました。ほかのバイトもやり、学生ながら、結構稼ぎました。母は勉強を疎かにする私を心配していましたが、父は、何も言いませんでした。今思うと自己責任を自覚させる為に、そうさせたのだと思います。高校時代くそ真面目と言われる私でしたが、その後、高校の同級生が驚く程、大変身でした。遊びとバイトが主で勉強は疎かでしたから、成績は中の下ぐらいでした。唯、その後の社会人になって、悪い経験も、生かせることが何度もあった様な気がします。大学二年の時、父は区役所を退職しました。63歳頃頃から、役所では希望退職を募っていたようで、67歳まで頑張ってくれました。仕事は楽だったと思いますが、よく頑張ってくれました。

公務員の恩給がよかった事と、家賃収入もあったので、辞めても、生活の見通しが立っていたようです。仕事から開放された父は、自分の趣味である、読書、尺八、を好きなように過ごしてみたいと、張り切っていました。世の中は意地悪なものです。そんな父に脳梗塞と言う身体の自由を奪う病いを襲合わせたのです。退職後僅か1年足らずでした。半年余り入院しました。家族の為に、長い間働き続けの父には、あまりにも、不幸な出来事でした。高齢になっても働き続けて、漸く、元気に悠々自適な人生を迎えて欲しいと、思っていたので残念でなりませんん。私は家庭教師のバイト以外は辞め、毎日病院に通って、父の回復を祈りました。姉は会社帰りに病院通い、母は病院での付き添い、家族ぐるみの見舞いを、病院の看護師達には、は微笑ましく見えたようで、色々と便宜をはかってくれました。入院生活は、半年くらい続きました。なんとか、退院時には右半身が不自由となりましたが、介助がつけば、杖をつきながらの歩行が可能になりました。残念でしたが、自宅に戻ってから、好きな酒を少しだけ飲む事出来、元通りまで行かないが、なんとか自宅で元気に過ごせる状態になりました。母は父のリハビリ、介護等、大変だったと思います。その頃の私は、父の退院で、全て解決したと思い、バイトや友人との付き合い等、今思うと、自己中の思慮不足だったようで、悔やんで、反省してます。母は明治の女性でしたから、何一つ文句を言わず、父のリハビリと介護を懸命にやっていました。父も毎日少量の酒を飲むだけが、楽しみだったようで、それなりの、幸せの夫婦だったと、私なりに考えて、自分を楽にさせています。そんな中、大学生にとって最も大切な就職戦線が始まります。当時の就職活動は大学四年の新学期から始まりました。マスコミ関係、有名企業、金融関係、夏休み前に内定がない決まってしまいます。私は損害保険会社を希望しました。三社受けましたが、見事にはねられました。夏休みが終わるまでには、なんとか決めたい、焦りました。希望の損害保険でなくても、できれば、一部上場の会社なら、と焦っていました。夏休みに入って、両親も本気で、コネクションを探していたようで、八月中頃、建材メーカーの一部上場の会社を受けてみたらと、言ってきました。父の学生時代の親友で、大手企業の役員を務めた方の紹介でした。会社としては、辛うじて一部上場にいる様な会社でしたが、建設関連は、将来見込める業種だと、父の親友からも勧められ、入社試験を受ける事にしました。40名の募集でした。運良く、なんとか採用して貰い、夏休み中に内定を貰いました。両親も私も、大学での最大の目標が叶えられ、大喜びでした。ここでも父の力のを見る感じました。入社したら、親父に恥じをかかせない仕事をしたいと誓いました。卒業まで半年余り、私の入会していた同好会読書会は、四年生5人、三年生2人、全メンバー6人のサークルでした。秋の私にとって最後の合宿を福島の岳温泉で行ないました。四年生の5人は内定していたので、余裕のある楽しい合宿を過ごす事が出来ました。卒業まで半年余り、最後まで、遊びに夢中だったような気がします。勉強 不足もありましたが、悔いの無い学生生活だったと思います。次回は入社、勤務地、父の死を書きたいと思います。