亡き父と私そして息子と私

今年喜寿を迎えて、色々整理している中、

16年前の年賀状の下書きが見つかりました。

東京で生まれ育った私でしたが、就職して、名古屋勤務となり、名古屋勤務が長くなり、東京に戻る事は無いと思い、東京の家の相続を、放棄した私でしたが、母が介護が必要となり、私が診ることになりました。

その時の私の考え方を、年賀に認めました。

当時、私は家族絡みの自営業をしていました。

平成十六年に出した年賀状は下記の通りです。

新年明けましておめでとうございます。

一昨年、母を近くの特別擁護老人に迎え、施設をとうして介護の問題に直面いたしました。

施設に任せきりの家族が多く、入所者達は失意のうちに痴呆症が進むとの話を聞きました。

介護はケアー次第だと思い、私なりに次のような四つの目標をたてました。

一、毎日家族の1人が施設に通う事、

ニ、面会の時はスタッフに変わって介護をする

三、施設の催事には参加する事

四、時折、母を自宅に迎え入れる事、

目標を決めてのスタートは、家族の強い協力も得られ順調に進み、母の心から喜んでくれる顔を何度も見る事が出来ました。

又、大きな収穫として、介護を受けている多くの入所者を通して、自分自身の老後を想像するようになった事です。

もしもの時の[食事の準備] 万一の場合の[介護]

を心配するようになった事です。

高齢者社会を豊かに生き抜く手段として、この心配を取り除いてくれる有料老人ホームに魅力を感じながら、楽しい老後とはどんなものか、じっくりと時間をかけて検討して行きたいと思います。

本年もよろしくお願い申し上げます。

平成十六年元旦

十六年前、こんな年賀状をを出したのは忘れていました。

今年一月喜寿を迎えて、今現在は介護を受けていませんが、昨年6月末に1カ月入院、いつ介護になってもおかしくないと思い、不安な気持ちが襲ってくるようになってきました。

介護で苦労なさっている側の方、十五年前の私の介護対策.如何ですか?

私の場合、当時、家族絡みの自営業でした。

私と家内、長男の三人家族でしたので、施設訪問のローテーションは組み易かったのは幸いでした。