コンビニ経営 第四回 最盛期

開店から三年が経過しました。最初の一年、こんな厳しい転職を選択した自分を後悔し、自虐的になっていた私でしたが、三年目にはサラリーマン時代の年収を超える勢いになってきました。

二年目には前年比伸び率、三年目には高日販(一日ごとの売上)二年連続で優良店舗として、表彰を受けました。この頃、毎年全国の優良店舗を表彰、九州旅行を兼ねて、福岡で一泊招待がありました。

売上の少ない店舗にも、地域に貢献とか理由をつけて、招待したりして、この頃は、不公平感にならないように、本部は気を遣ってくれているように思えました。この頃も本部と加盟店の関係は共存共栄の関係が続いていました。この頃、コンビニへの転職組にとって、大変厳しい仕事だが、金にはなるという評判がささやかれていました。希望者も多く、新店舗が増えていくように思えました。この事が、将来、加盟店にとって不幸な事になるとは、思いもよりませんでした。

私の店舗も更に売上を伸ばすことになってきました。従業員の中心であるリーダーが全員を引っ張って、二人のベテランが慣れない店員を指導していく、チームワークも上手くいっているようで、私が描いていた理想の形が近づいているようで、満足できる状況でした。

二年目の時、法人にしていました。三年目を迎え、経営は安定してきた事もあり、思い切って店舗の近くに家を購入することにしました。自宅は店舗から10キロ離れていたので、近くのアパートを借りていましたので、家賃を払うよりローンのほうがいいように思い決断しました。運よく、自宅の借り手も見つかりました。不況になった時、不動産収入がある事は心強いと思いました。

解放感を味合う事が殆ど無い、本当に厳しですが、収入の面では、不満を解消するように思えました。

平成十三年、開店から五年目を超える頃、最盛期を迎えることになりました。店利益200万以上の月が増えてきました。親しくしている仲間たちの中では、三百万を超えた店舗があるようになりました。恵まれたオーナーが多くいらした時代だったと思います。この頃、エリアマネージャーから、最盛期はいつまでも続かない、良いうちに、売上を出来るだけ伸ばすことが大切だと、アドバイスをいただきました。悪くなっても、下げ止まりが、ある程度で止まるということです。私はそのアドバイスを受けて、売上を伸ばすことに努力しました。不思議に、良い時は、思い通り行くもので、売上は伸びていきました。店利益は250万〜270万まで伸ばました。これが最盛期の中でピークだったと思います。この頃から、新店舗の乱立、コンビニチェーンの無分別の出店競争が始まって、オーナー達が、苦境を迎えることになっていきます。

どん底から最盛期まで地獄から天国まで、ものすごい経験をさせて頂きました。どんな事が良かったのか、例を挙げてみたいと思います。

一   納得いくまで、担当SVとその上司と話し合う。本部の要求と加盟店の利益は、一致しない。

私の場合は、売上を伸ばす為の方策を出して品揃えも増やす。売上が増えてもあ店利益が増えなくては意味がない。本部にはリスクはお互いでとお願いしました。

一   SV.とその上司とのコミニュケーションを普段からよくしておく、

私の場合、普段から自分の基本的な考え方をSVと、その上司に伝えるようにしていました。

色々のSVがいます。担当している店舗が、窮地に落ちていて、救える方策があれば、ひと肌脱いで、上司と掛け合うようなSVもいました。一方、正論しか言えなくて、リスクを背負うのは御免、そんなSVも多くいます。私の場合、ひたすら交代を願って、うわべの話だけにして、自分の基本の方針を通して、進みました。

一   アドバイス聞く耳も持つ。大切な事もある。

私の場合、エリアマネジャーから売上伸びている時は、伸ばせるだけ伸ばせば、下がった時、高い位置で下げ止まりとなる。この事が将来不況になった時、救いとなるとは、夢にも思っていませんでした。

次回はコンビニ経営第五回下り坂を書きたいと思います。