コンビニ経営 第五回 下り坂

開店から七年目、この頃だったと思いますが、経営のトップが変わったと思います。

確か、色々の改革を発表して、マスコミから注目されました。新しい型のコンビニ、色々の提案を発表し、パホーマンス型の社長が登場しました。この頃、コンビニ業界は小売業のトップとして君臨していたと思います。売上の高い店舗はライバルチェーンにとって、格好の標的です。私の恐れていた通り、私の店舗の近隣に、一店舗、又、一店舗と、新店舗が増えていきました。受給のバランスから言えば丁度良い時期から過剰な状況にへと移って行く時代になっていきました。本部も危機感を持って改革を進めていきました。加盟店の毎年の九州への表彰旅行の中止、日販が80万万から70万台へと下がっていきました。落ち目になる前に、手を打て、サラリーマン時代教えられたことを思い出して、対策を、必死に考えました。当時、主力の弁当、おにぎりが、陰りが見え始めた頃でした。全体的にファストフーズの伸びが目立っているように思えました。毎週土日にフライドポテトとフランクフルトの50円引きセールの実施することを提案しました。本部に相談した私の提案を話し合うことになりました。エリアマネージャーを交えた話し合いで、心よく本部負担で実施することになりました。当時、下がり傾向は続いて日販が60万も危ない状況でした。この50円引きセールが窮地を救ってくれる事になりました。本部の決断に、応えるべく、私も廃棄を恐れず、ホットケースに並べられる限り、沢山のセール商品並べました。お客様はカウンターの目ホットケースにフライドポテトとウインナーが山程積んだあるのを見て、話題になって、予想以上に売れました。この事が将来ファストフーズ全般が注目商品になるとわ思いもよりませんでした。なんとか60万台の日販は維持できました。良かった事は、エリアマネージャーのアドバイス通り、売上が良かった時出来る限り、売上を伸ばすようにを実行した事、売上を維持する対策を本部を巻き込んで、検討した事、思った事を即実行した事等でした。何れにしろ、下げ止まりの動きは、止まりました。唯、コンビニ経営者の多くの人が、苦しんでるのは事実で、私と同時に始めた仲間の多くが去っていきました。寂しい限りでした。

私の店舗ファストフーズの好調が続いて、持ち直しに成功していました。年収もやや高めを確保でき、良い時期に貸家を所有したお陰で、不動産収入も入り、運良く、恵まれた状況を維持することができました。新店舗の出店ラッシュはとどまる事無く、続いていきました。分子が増えないのに、分母が増える、とばっちりは、当然、オーナーに来ます。人手不足他、諸経費の増加で、困窮して生活苦に陥っているオーナーもいる時代になっていきました。コンビニ各社の決算は右肩上がりの好決算が続いていきました。共存共栄の形が崩れて行く事になっていきました。私の店舗も近くのライバル店舗の建て替え、駐車場の拡大を備えての新店舗は、大打撃でした。十年の契約更新がまじかでした。まだまだ新店舗は増加する傾向が見えていました。無謀な陣取り合戦は加盟店を追い込むばかりでした。

下がり止めも一時的で、流れには勝てませんでした。次回は契約更新とその後を書きたいと思います。