不滅の石原裕次郎の魅力

裕次郎の人気は、どうして?、どこにあるの?

石原裕次郎さんは亡くなってから30年以上、それでも、依然として、根強い人気を保っています。

裕次郎さんの人気の強さはどこにあるのか?

渡哲也筆頭の石原軍団のサポートも、ありましたが、最近の活動はありません。

解散するようです。

それでも、歌手石原裕次郎の強みとして、沢山のヒットした名曲があります。

裕次郎は不滅の人気は続くと思います。

主なヒット曲の中でも、特に歌詞の良さが素晴らしく、売り上げ枚数が伸び

1961年の銀座の恋の物語、355万枚

1965年の二人の世界、285万枚

1961年の俺はお前に弱いんだ、175万枚

1965年の赤いハンカチ.275万枚

100万枚以上売上た曲が他に沢山あります。

裕次郎の歌のうまさは勿論ですが、歌詞の良さが、抜群に良いことに気がつきました。

285万枚売上た二人に世界は恋人同士がナイトクラブで踊るシーン、もっとお寄りよ離れずに、踊ろうよ、小さなフロアのナイトクラブ

夢の世界さ、うぶな女性に対する優しさ、強い男裕次郎が歌う、女性ファンの方達は、堪らないことだと思います。

 

 

 

 

 

 

就活は結果次第

就活は社会人としての大切な第一歩であることは、間違いないと思います。

一流企業に入り、出世して、高級取りの人生を歩みたい、そんな願望で、就活に取り組んでいる人が多いと思います。

折角、希望通りの会社に入社して、短期間で退社している人が多くいます。

入社して、自分が思っていた通りには行きません。

周りの環境までは、自分では選べません。

上司、先輩、同僚、周りの環境次第で、楽しい職場にも、面白くない職場にもなります。

私の経験から申し上げると、入社先が決まったら、入社した会社を好きになることが、第一だと思います。

私は東証一部の建材メーカーに入社しました。

就活目標では、損害保険志望でした。

希望は叶えられませんでした。

結果、入社したのは、建設関連の建材メーカーでした。

東証一部に辛うじて位置する会社でした。

東京育ちの私でしたが、赴任先が名古屋支店勤務となりました。

初めての一人暮らし、仕事は建築図面から自社の建材を見積をする。

法学部卒の私には苦手な仕事でした。

私にはマイナス要因ばかり揃った会社でした。

入った以上は頑張れと元気付け、ポジティブな考えを浮かべました。

自由な一人暮らし、建設関連の男らしい仕事、

会社を好きになることが大事と思っていた私には、慣れるのは難しい事ではありませんでした。

半年後には、営業の得意先を何件か持たされ、

自由に動き回っていました。

就活の時、志望した会社ではありませんでしたが、この会社に入社して良かったと思っています。歯車の一因でなく、好きにやらせてもらう事が、何よりでした。

名古屋時代は仕事だけでなく、同僚たちと、

登山、スキー、キャンプ、飲み会等、楽しく、過ごさせてもらいました。

名古屋、岐阜、名古屋、水戸、東京と三十一年勤務した会社は最高でした。

希望通りの会社に入社したら、どうだったか?

結果はわかりませんが、

私が入社した会社が、一番良かったと思っています。

就活は結果次第だと思います。

考え方ひとつで、どうにでもなる、人生とは、そんなものじゃないでしょうか?

就活は結果次第、入社先が決まったら、

ジタバタしても始まらない。

入社した会社を好きになって、会社を良い会社にするよう頑張っていきましょう。

仕事も遊びもこなして、人生謳歌

そうありたい、そう願いたいですね。

 

コンビニ24時間営業問題提起とその後

セブンのオーナーが24時間営業を停止して、セブンイレブンから、契約解除を告げられ、

NHK他テレビ各局が取り上げて、コンビニ各社が、追い詰められ、24時間営業の是非、論じられました。

フランチャイズオーナーの悲惨な状況が、マスコミから伝えられて、コンビニ本部側から、柔軟な契約形態に変えるようになったと思っていました。

あれから一年、私の行動範囲一五キロ範囲にあるコンビニ、24時間営業から時短店なった店舗は、一軒もありません。

各社、本部の姿勢は、マスコミ対応では、オーナーの意見を聞いて、深夜営業の継続を、柔軟に取り入れるような話でした。

本当にやる気だったか?

疑問に思います。

流通の問題、売上減の面から、本部としては、時短は、認めたくないのは事実だったと思いました。

一方、低日販のオーナーに取って、生活していく上で、深夜営業は不可欠だったと思います。

私が知る限りでは、チァージ(本部の取り分)を下げたのはセブンイレブン一社のみでした。

各社の代表はマスコミに登場して、聞こえの良い話ばかりで、私の予想では、(間違ったらごめんなさい)時間が経てば、静まると思っていたのかもしれません。

先日、ローソンの社長がカンブリア宮殿に出ていました。多くの店舗に顔出して、お話を聞いているような話をなさっていました。

店舗訪問時の画面は余裕ある、経営者、店員、は社長と顔なじみのように見えました。

間違っていたら、ごめんなさい。

オーナー、従業員と社長と顔なじみになるるような店は、問題が少なく、良好な関係で、特に訪問する必要のない店舗だと思います。

どの経営者も、各店の話(現場)を聞きたいと言います。

コンビニ各社は各地で、毎月、勉強会、戦略会議、のような事を実施していると、聞いています。

現場の声を聞きたいなら、そういう場所に参加して、聞いて頂くと良いと思います。

勉強会では、売りたい商品のPR.、予約商品の販売戦略、本部側の戦略ばかりの会議だと聞いています。

ローソン社長はテレビ出演時、店舗との利益配分の話が出ました。50%と答えていました。

下記の人件費等に資料は私の個人的な推定試算です。間違っていたらごめんなさい。

人件費110万、光熱費20万、廃棄ロス45万

合計175万、他棚卸しロス等を加えると

200万前後の原価がかかります。

夫婦で、働いて、人件費を減らすしか、方法がありません。

昔、自動車の大きな会社と下請け会社は車の両輪と例えて、共存共栄を実現して来ています。

フランチャイズと訪問の関係こそ、共存共栄でいかなければならない、業態だと思います。

コンビニオーナーが苦しんでる問題、オーナーの所得、雇用対策、労基法遵守、等、本部の積極的な関与、オーナーの生活が成り立つよう、

チァージの引き下げを含めて、対策を進めて頂きたいと思います。

 

 

大相撲新番付と春場所の期待

春場所が3月8日開幕予定ですが、コロナウイルス次第でどうなるかわかりません。

先日発表した番付は、遠藤、朝乃山、正代、北勝富士が三役、前頭上位陣に高安、御嶽海、先場所優勝の徳勝龍、超小兵の炎鵬等、人気、実力が揃った力士が集まっており、楽しみの対戦が多く見れそうです。

特に、昔、大気と言われた遠藤、正代の実力をラストチャンスの踏ん張りに期待したいと思います。

要介護の心配と私なりの対策

今年一月で喜寿を迎えました。

昨年6月末に胸回りがおかしい気がして、3カ月ごとの検診を受けている病院の予定検診日より早めの検診を受けました。

結果、ナトリウム量が異常に少なく、危険な状態と言われ、即、入院をさせられました。

低ナトリュム血症と言われ、下垂体に、関わる病だそうで、1か月余りの入院を余儀なくさせられました。

退院後、リハビリとして、1日5キロ以上のウォーキング、腹筋30回、腕立て30回を目標に行動しています。

年齢からハードな運動量と思いますが、月20日間以上はこなしています。

退院後半年経過した現在、身体の方は、食欲、通便は順調です。

貴景、心配なのは、毎朝起床時、入院前の覇気が何となくでない事です。

加齢のせいで仕方ないのか?

難病の一種に近い病のせいか?

毎日不安と戦っているようです。

すっきりしない毎日を過ごしている事です。

現在続けているリハビリをこなして、要介護にならないよう、対策としたいと思います。

友人から、私の運動量は健康な人でもきついよと言われます。

何処が悪いのか?と不思議がられます。

要介護にならないよう、リハビリを続けて元気を取り戻したいと思います。

 

 

 

期待の力士遠藤、朝乃山、正代、御嶽海

初場所は幕尻の徳勝龍の優勝と言う、全く予想外の結果となりました。

やや忘れがちになってきた遠藤の活躍、入門時話題になってなった正代、期待の朝乃山、小兵の人気力士炎鵬、の活躍は土俵を十二分に盛り上げてくれました。

来場所は一人大関となり、寂しい限りです。

朝乃山を筆頭に、遠藤、正代、北勝富士大関争いになって欲しいと思います。

御嶽海も故障を抱えて、二度も優勝しているのに、不運だと思います。

腐らず、大関争いの中に入って欲しいと思います。他にも有望力士が沢山います。

大関以下幕内上位陣の差が少ないので、来場所も、誰もがチヤンスとなる可能性があり、目が離せません。

相撲人気は当分大丈夫、来場所の私の予想としては、遠藤、朝乃山の飛躍を挙げたいと思います。

 

 

亡き父と私そして息子と私

今年喜寿を迎えて、色々整理している中、

16年前の年賀状の下書きが見つかりました。

東京で生まれ育った私でしたが、就職して、名古屋勤務となり、名古屋勤務が長くなり、東京に戻る事は無いと思い、東京の家の相続を、放棄した私でしたが、母が介護が必要となり、私が診ることになりました。

その時の私の考え方を、年賀に認めました。

当時、私は家族絡みの自営業をしていました。

平成十六年に出した年賀状は下記の通りです。

新年明けましておめでとうございます。

一昨年、母を近くの特別擁護老人に迎え、施設をとうして介護の問題に直面いたしました。

施設に任せきりの家族が多く、入所者達は失意のうちに痴呆症が進むとの話を聞きました。

介護はケアー次第だと思い、私なりに次のような四つの目標をたてました。

一、毎日家族の1人が施設に通う事、

ニ、面会の時はスタッフに変わって介護をする

三、施設の催事には参加する事

四、時折、母を自宅に迎え入れる事、

目標を決めてのスタートは、家族の強い協力も得られ順調に進み、母の心から喜んでくれる顔を何度も見る事が出来ました。

又、大きな収穫として、介護を受けている多くの入所者を通して、自分自身の老後を想像するようになった事です。

もしもの時の[食事の準備] 万一の場合の[介護]

を心配するようになった事です。

高齢者社会を豊かに生き抜く手段として、この心配を取り除いてくれる有料老人ホームに魅力を感じながら、楽しい老後とはどんなものか、じっくりと時間をかけて検討して行きたいと思います。

本年もよろしくお願い申し上げます。

平成十六年元旦

十六年前、こんな年賀状をを出したのは忘れていました。

今年一月喜寿を迎えて、今現在は介護を受けていませんが、昨年6月末に1カ月入院、いつ介護になってもおかしくないと思い、不安な気持ちが襲ってくるようになってきました。

介護で苦労なさっている側の方、十五年前の私の介護対策.如何ですか?

私の場合、当時、家族絡みの自営業でした。

私と家内、長男の三人家族でしたので、施設訪問のローテーションは組み易かったのは幸いでした。