コンビニ経営

初めてのブログ投稿です。佐渡大好きです。父親が都庁に勤めていて東京、目黒に住んで居ました。終戦まじかの昭和18年、母の疎開先の佐渡で生まれました。私の両親は佐渡出身で、多くの佐渡出身の親戚がいます。そんなことから、名前を佐渡大好きと名乗させていただきます。

私は二十一年前、平成八年の八月にコンビニ経営にチャレンジしました。三十一年勤めた会社を、自分なりの意地をとうしての退職しました。第二の人生としてコンビニ経営を選びました。選んだ理由は、当時小売業界の世界はデパートからスーパーへと移りつつで、次はコンビニが小売業界の主役の座につくだろうと予想されていました。私にもそう見えました。

最近、コンビニ、オーナー募集の広告を目にします。気軽に参加できるような文言が気になります。

六〇歳前後の高齢の方の、参加も増えているようです。私の経験の総てをブログで、発表させていただきます。

私の二十一年のオーナー体験は山あり、谷ありの連続でした。私のできる限りお伝えしたいと思います。オーナーを、目指そうと思う方の参考になればと思います。又、コンビニチエーンの方々のオーナーへの一層の理解が得られるようになれば、幸いです。

私の第二の人生のスタートは平成八年八月二二日八時でした。立地としては、住宅街で、大手の会社の独身寮があり、良さそうな場所で、七月から、スタッフ募集も、多数の面接申し込みもあり、下準備も上々でした。開店当日スタート前から多くのお客様が見えました。本部から多くのSVが応援してくれました。四、五日は本部任せで、上々のスタートでした。私と家内は、この間、経営者としての役割を学ぶべきでした。その後の苦労は大変ものでした。あとは自分でやりなさい、と言う感じでした。

思うようにいかない、全てが良い方向から、悪い方向に向かっていく感じでした。タバコの許可が遅れ、発注も、上手くいかない、スタッフも思うように、動いてくれない、睡眠時間は三時間前後、三ケ月ぐらい続きました、店利益は殆ど無く、最も厳しい時期でした。十年契約なんか到底出来そうもない、不安が浮かぶ日々が続きました。本部の支店長と相談、結果として、経営がうまくいっているオーナーから、話を聞いて学ばせて頂く事にしました。初心に戻る気持ちで、必死に立て直しに取組みました。この事が転機となり、開店半年、目標の日販五〇万に近づいて、店利益も向上してきました。

最悪期は脱したよです。アドバイスをしてくれた何人かのオーナーしてくれたお陰で、心から感謝しています。どんなに立地が良い場所でも、それを生かす努力に全勢力をかけないと、生かせないと言う事を、改めて学ばされたました。今回はこの辺で、次回は私が経験したコンビニ経営の安定期、最盛期、を書きたいと思います。